醤油と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは黒く深い色の液体だろう。けれど、愛知県碧南市では古くから透けるような淡い琥珀色の醤油が作られてきた。白醤油である。この町で生まれた白醤油を大正の初めから作り続け、「足助仕込 三河しろたまり」という究極の白醤油を生み出したのが日東醸造株式会社である。

碧南市は三河湾の奥、衣浦湾に面した場所に位置する町だ。湾をはさんだ対岸には知多半島が南へ延びている。今回取材に答えてくれた日東醸造の5代目・蜷川泰輔さんは言う。「知多は昔、とても栄えた港でした。大阪から江戸へ醤油やお酒を運ぶ船が泊まる中継地点だったんです」
海運で潤った知多には裕福な人が多く、上質な酒が集まった。やがて知多でも酒造りが始まり、多いときには200を超える蔵があったと言われている。酒蔵が増えれば酒粕が出る。その酒粕から酢を作り始めたのがミツカンである。その流れのなかで、焼酎やみりんを手がける蔵も生まれていった。知多半島から碧南市に至るこの一帯は、そうして醸造文化の豊かな土地になっていった。

工場の前には、同じ碧南のみりん蔵「九重味醂」のコンテナも。醸造の町ならではの風景だ。
高温多湿な気候風土も醸造を後押しした。この地方では大豆だけで仕込む豆味噌づくりが盛んで、そこから生まれたのがたまり醤油。大豆が主原料なのでタンパク質が豊富で、旨みが強い。
「私の祖母も『醤油』と呼ばずに『たまり』と呼んでいたくらい、碧南市はたまり文化が定着しています。たまりは色が濃くて、味にもパンチがある。どんな料理も美味しく仕上がるんですが、調理に使うとすべて黒くなってしまう。それが弱点でした」
色をつけずに素材を生かしたい和食の板前たちは、色のつかない醤油を求めた。そこで注目されたのが、麦だけで仕込んだ金山寺味噌の上澄みだ。醤油のような香りがあり、色が淡く、そして美味しかった。これが白醤油の起源とされている。たまり文化が育まれた土地だったからこそ、その対極にある白醤油が生まれたのだ。

一般的な醤油は大豆と小麦をほぼ半分ずつ使い、1年から1年半かけて熟成させる。白醤油は小麦が9割、大豆が1割。熟成はおよそ3カ月と短い。その結果、色はごく淡く、味わいは素材を引き立てるすっきりとしたものになる。

黒い醤油とはまったく違う、透き通った琥珀色。
日東醸造の歴史は大正初期、碧南で神谷氏が白醤油づくりを始めた時点まで遡る。その仕事を蜷川家が受け継ぎ、1938年に会社を設立し、1954年に称号を日東醸造に変更。以来、白醤油ひと筋で歩んできた。

碧南本社にある、元は日本酒蔵だったという木造の建物。今は2階を食堂に、1階は工場として使用している。
いまの日東醸造の看板商品である「足助仕込 三河しろたまり」は、3代目、つまり泰輔さんの祖父の違和感から生まれた。
「祖父の代には小麦は外国産に置き換わり、水も水道水を使っていました。昔の白醤油とは味がずいぶん変わってしまったと、祖父はずっと感じていたようです。お客様からも、美味しいけれど少ししょっぱい、とよく言われていたようで…」
昔ながらの白醤油を取り戻したい。もっと美味しい、究極の白醤油を作りたい。3代目はまず、小麦麹を通常の倍量使うことにした。旨みと甘みは増したが、どうしても色が濃くなってしまう。醤油に色がつく大きな原因は大豆にある。そこで1割入っていた大豆の使用をやめ、原料は小麦のみ、麹を倍量で仕込むことにした。これが今の商品の原型となる『三河しろたまり』である。

小麦を蒸したあと、冷却し、種麹を蒔いて寝かせて麹をつくる。しろたまりは、この小麦麹を通常の倍量使う。
こだわり抜いて開発した「しろたまり」は究極の白醤油にふさわしい味に仕上がったものの、代償は小さくなかった。通常の白醤油は麹1に対して水2で仕込むが、白たまりは麹1に対して水1。当然「取れる量は半分」になる。原料の小麦は国産のものを倍量使用する。塩も上質なものを使うにも関わらず、取れる量は半分。当時の価格は白醤油のおよそ3倍になり、「美味しいのはわかるけれど、高すぎて扱えない」と言われ続けた。「しろたまり」の売上は当初、芳しくなかったという。
その「しろたまり」を広めたのが、泰輔さんの父である4代目・洋一さんだった。北海道から沖縄まで、全国で「しろたまり」のワークショップを開催。「しろたまり」とは何かを伝え、愛知の醸造文化を語り、参加者が自分で仕込む「しろたまりづくり教室」を行った。参加者は延べ4000人を超える。
「足で稼ぐというか。この活動が『しろたまり』が少しずつ広まっていったいちばんの理由だと思います」
祖父が味をつくり、父がそれを人の手から手へと渡していった。しろたまりは、二代にわたって育てられてきた味なのである。

日東醸造には碧南のほかに、1999年から仕込みを行う、もうひとつの生産拠点がある。碧南から車で2時間弱、山あいへ向かった先にある豊田市足助町の「足助仕込蔵」だ。

塩の道・中馬街道の宿場町として栄えた足助の町並み。
足助は江戸時代、塩の道、中馬街道の宿場町として栄えた町である。三河の海辺でつくられた塩は足助で俵に詰め直され、「足助塩」として信州へ運ばれていった。いまも往時の町家が残る町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。海の恵みが山を越えていった道筋に、海の町・碧南の蔵元がたどり着いたことになる。
「足助に来たのは、“水を求めて”です。碧南でしろたまりを作っていた頃は水道水でしたが、どうしても水にこだわりたかった。水を探しながら、どんどん川の上流へ登っていったんです」

足助仕込蔵のそばを流れる川。水を求めて、上流へとさかのぼった。
そうして出会ったのが、この地の井戸水だった。当初は井戸水を碧南まで運んで仕込むつもりだったが、井戸のすぐ隣に廃校があり豊田市が活用の方法を探していたことから、ここで仕込むことを決断する。
「空気が澄んでいること、そして名古屋より気温が5〜6度低いことも決断を後押ししてくれました。低い気温で仕込むと、しろたまりはより色が淡く仕上がるんです。うちは何より色を大事にしているので、せっかくならこの場所で、この井戸水で仕込もうと」


結果的に麹は碧南でつくり、仕込みは足助で行っている。往復で考えると3時間以上かかる距離だ。
「麹をつくる場所と仕込みの蔵が日本でいちばん離れている醸造所ではないかと(笑)。ある意味で効率性を無視してでも、いちばん美味しいしろたまりを作りたいと考えています」
「足助仕込 三河しろたまり」の仕込みには、伝統的な手法である木桶を使っている。


「木桶の表面には微生物の生態系ができていきます。それは足助仕込蔵にしかない生態系です。他の会社が同じ製法で作っても、絶対に同じ味や香りにはならない。この場所で、そして“木桶で”作り続けることに意味があるんです」
木桶で仕込まれるしろたまりは、22個ある木桶の個性によってそれぞれ絶妙に異なる味に仕上がるという。最終的には複数の木桶で仕込んだしろたまりをブレンドすることで、日東醸造の味に仕上げている。

木桶に仕込んだ後は一切かき混ぜない。人が手を加えることができるのは仕込む前まで。「僕らにできるのはいい麹をつくること。それが一番大きく味を左右します」。麦をどれだけ水に浸すか。どう蒸すか。温度はどうするのか。季節やその時の気候に合わせて今も試行錯誤を続けている。
人の手で磨き続ける麹と、この土地にしか宿らない微生物。その二つが重なって、日東醸造の『足助仕込 三河しろたまり』が生まれるのだ。
一見使うのが難しく感じるしろたまりだが、泰輔さん曰く海外の家庭でも使いやすい調味料だそう。おすすめなのは、「塩と同じ感覚」で使うことだ。
「白身の魚やイカ、ホタテのような淡白なお刺身にすごく合います。いい魚や野菜が手に入ったときに少しかけると、素材そのものの美味しさが際立つはずです。和食だけでなく、洋食や中華にもよく合います。ぜひいろんな料理に使って、しろたまりの味と香りを感じていただければと思います」
たまりの土地で生まれた白醤油。その白醤油を昔の味に戻そうとした祖父、全国を回って広めた父、そしてこの味を海外へ広めるべく精力的に活動を続ける5代目・泰輔さん。透き通った一滴のなかには、碧南と足助という2つの町で蜷川家が積み重ねてきた時間が溶け込んでいる。
