Bimmy Japan

茶商 Ujitawara, Kyoto

13代目山本重郎兵衛

宇治で400年続く 茶匠の歴史と 禁裏御用の格式を携えて

日本におけるお茶の物語は、西暦800年代まで遡ることができるという。遣唐使によって中国からお茶が持ち込まれたとされるが、当時日本は平安時代。政治、文化の中心は京都だった。瞬く間にお茶は人気となり、天皇が住まう大内裏には茶園があったというし、貴族たちは茶葉を粉末にして煮出して飲んでいたという記録が残っている。

立春から数えて八十八日目にあたるのが「八十八夜」。古から、夏が近づき霜が降りなくなるこの時期に一番茶の茶摘みが行われてきた。

日本のお茶文化において、宇治が本格的な産地となるのは室町期のことである。貴族の別荘地として栄えた土地柄に加え、寒暖差があり、水はけもよく、川霧が出ることによって霜が降りにくいという気候条件も相まって、宇治では1300年代から本格的なお茶の栽培が始まっていた。


そんな日本茶の原点ともいえる場所で、400年以上にわたって茶商を営むのが山本重郎兵衛。1600年代より朝廷への諸役を取り仕切る禁裏庄屋として「重郎兵衛」を名乗り、田原郷(現在の宇治田原町)で茶栽培、茶販売、山林経営を行ってきた。

現当主は、13代目山本重朗兵衛。通常、お茶の生産は分業であり、お茶を育てる農家がいて、その茶農家の茶葉をブレンドして商品へと仕上げていく茶商がいる。

13代という長きにわたって茶商を営む山本氏が取り扱うのは、農林水産大臣賞を数回にわたり受賞するような一級農家の茶葉であり、また協業する茶師の山北氏は全国茶審査技術競技大会で優勝した実績を持つ日本一の茶師である。

1500年代に始まったとされる覆下栽培。茶の木を霜から守るために覆いをかけると、葉は柔らかくなり、味は旨みが強調されてまろやかに。安土桃山時代には65%程度だった遮光率は、1800年代には95%にまで向上した。

400年以上この場所を守り、育ててきた山本氏だからこそ、原料を生産する茶農家、そして合組(ブレンド)を担当する茶師、さらに言えば1時間に35gしか生産できないという石臼挽きの工場といった、宇治田原の“最高峰”を束ねて「本物の抹茶」を届けることができるのである。

お茶栽培に適した気候風土、丁寧な覆下栽培によって生まれる「覆い香」、そして碾茶炉で乾燥させることによる「炉香」。自然の恵みと、連綿と続く宇治田原のお茶文化のなかで育まれた2つの伝統製法によって、宇治抹茶の味わいは他の追随を許さないほどに多層的だと言われている。

旨み、渋み、苦み、キレ、そのすべてが調和した味の奥には、本物のお茶文化を絶やすまいとしたすべての人の想いと歴史が詰まっている。

History

茶商|13代目山本重朗兵衛

1600’s
大坂夏の陣終了後に帰農。代々当主は重郎兵衛高明を名乗る。
1900's
宇治茶は欧米向け貿易品として人気を博し、絹糸を超えるトップ品目に。宇治茶の多くは神戸港経由で輸出され、重郎兵衛家も開墾を広げ茶販売を拡大。
2017
重郎兵衛家敷地内に現存する、明治期建築の木造ホイロ小屋(茶工場)を改修。「MARU + JYU」として茶をテーマにした宿泊施設に。

茶商|13代目山本重朗兵衛

Ujitawara, Kyoto

宇治で400年続く 茶匠の歴史と 禁裏御用の格式を携えて

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